私は今の仕事に向いているんだろうか、という問いには意味がない
自分の能力への採点?
コンサルティング会社では人材育成は会社の肝になります。
メーカーが自社商品を磨きあげるのと同じように、(言い方少し悪いですが)コンサル会社にとっての商品である人材をどう磨きあげるかは永遠にして唯一の課題です。
うちの会社では、入社すると3ヶ月間OJT期間(修行期間)としてプロジェクトに無償で入り、訓練される、という仕組みがあります。そのOJT期間が終わり、本配属となった新人の女の子から相談を受けました。
新人の子「OJT期間自分で採点すると何点だった?って先輩に聞かれたんです。65点かな、と思ってもやもやしました」
私「その65点はもう少し具体的に言うと何に対しての65点なの?」
新人の子「自分ができると思っていたことに対して、実際に出来たこと、が65点だと思ったんです。そういう採点をしろってことだと思いました」
私「それって自分の能力を採点したってってことだよね。多分その先輩が考えて欲しかった採点はそういうことじゃないと思うよ」
こんなやりとりの中で2年前の自分を思いだしたので、今日はこの記事を書くことにしました。
私はこの仕事に向いていないのでは・・・と悩み続けた1年目
転職当時の私は社会人2年目、前職の外資系投資銀行では、ミドルオフィスながら周りの人にも仕事にも恵まれ、プロジェクトのチームリードもやらせてもらえるくらいのポジションになっていました。
そこそこ「自分できる」という自信を持って転職に挑んだわけです。
ところが、今の会社に入り、コンサルタント、IT、全く違う仕事・・・最初から思いっきりその自信は打ち砕かれることになりました。
ただただ「新しい仕事に慣れない」とか、そういうレベルじゃなく、「会話の内容が分からない、思考回路が分からない」という、そんなレベルでした。
やり方、戦い方、全くわからない、そんな状態だったのです。
加えて、私は元来悩みすぎてしまうところがあります。学生時代から恐ろしく失敗を恐れる子で、「恥をかきたくない」「役に立たないと思われたくない」なんてことを常々思っていました。幼稚園の頃でさえ、周りの子がやるのを見てから動くようにしていたぐらいです。(母親談)
それが行き過ぎるとどうなってしまうかというと、失敗したくないから頑張る→頑張るのでそこそこ優等生になる→益々失敗が怖くなる→少し失敗すると、「私なんてダメだ・・・」と思ってしまう、というスパイラルに陥ります。
そこそこ優等生になるので、周りから見ると「なんでそんなに思い悩むの、全然いいじゃん!」って感じらしいですが、自分的には「私ゴミだ・・・」と思うことのほうが断然多いです。全くもってアンヘルシー。
(スパイラルついでに「失敗を認めたくなくなる」というオプションまでついてきます。「素直さ」についてはまた別で書きたいと思っています)
今でも思い出しますが、最初に配属されたプロジェクトで、当時のPMが論理的な思考本とかで良く出てくる「問題」「課題」「原因」の切り分けを1時間以上丁寧に教えてくれたことがありました。
それまでの私は物事の論理構造を考える、なんてことやったことがなく、「なんとなくこうだと思う!こうしよう!」と感覚勝負で生きてきたので、違う言語を習得しようとしているような気分でした。
プロジェクトで忙しい中貴重な時間を割いて説明してくれたのに、結局腑に落ちたような落ちてないような理解にしか達せず、自分のバカさに絶望・・・。
IT周りの話にしても、分からない単語が出てくるたびにこっそり手元のPCで調べて・・・と。自分が情けなく恥ずかしくて、毎日泣いていたような。
(こんなの我慢して雇い粘り強く教育してくれている周りの人には感謝してもしきれません。)
そんな状態が半年以上続くと、当然ながらネガティブスパイラルが発動し「私向いてないんじゃないか」という思考に陥ります。
なまじ前職の経験から自信を持ってしまっていたこともあり、スパイラルが地面をドリルばりに掘って落ちて行きました。
なんせ、「論理的」とは全く逆の思考回路で生きてきたし、プレゼンテーションでは緊張しまくり早口でまくし立ててしまうし、コンサルタントとして必要とされる能力は一切無かったですから・・・。
この仕事で勝負していくのはやはり無理があるのかな、と何度思ったことか。
「仕事どう?」と問われて言葉に詰まってしまう毎日でした。先述の新人の子も少しその頃の私を思い出すような様子だったなと思います。
向いていないのか、と問うのはもう諦めたとき
「私この仕事に向いていないんですかね」
ある日PMに聞いてみました。その頃には入社して半年以上が過ぎていました。
それを聞いたときの私は正直、「そんなことないよ」って言ってもらえることを期待していたんだと思います。もしくは、本当に決心がつくように、「そうかもしれないね」と言ってくれてもそれはそれでいいかな、という気もしていました。
ただ、それを問われたPMは、少し考えてから
「向いているか向いていないか考えることには意味が無いよ」
と。
いわく、その問いをしたところで、その先どうなるのかと。
・向いているよ→そうか、よかった
・向いていないよ→そうか、向いていないのか・・・(じゃあやめるの?)
自分を良くする次の行動には何もつながらないのです。
アートや運動のように、「生まれ持った才能的ななにか」が大きく結果を左右するならまだ分かる(それでさえ1%の才能と99%の努力、みたいな言葉が生まれるくらいなので)が、仕事なんて才能どうこうそれほど関係ない、と。
最初からできる人なんていないんだから、大事なのは、今できないことを、どうやってできるようになろうとしてるか、であると。
今出来ないことをなんとかしてできるようになろうと努力して、やっぱりだめで、本当にもうこれ以上努力できない、やめよう、と決めでもしない限り、この問いはやはり考える意味がないので、自分にも、他の人にも聞かないようにしようと決めました。
先述した新人の子も、今の自分の能力に対して採点してましたが、多分先輩はそんな採点をしてほしいんじゃなかったんだろうなぁと思います。
それよりも、OJT期間中に「できないことを出来るようになろうと努力する過程がどうだったか」に対して採点してほしかったのではと思うのです。
新人さんの能力採点なんて低くて当たり前なんですから。
むしろ、自分がいい点が出せると期待する、なんてこと自体が驕りとさえ言えるかも。
上手く自分が出来ないことを探すことができたか、それに対して乗り越えるべく努力できたのか、上手くいかなかったとしたらどの辺だったのか、といったところの採点が欲しかったのでは。と思うわけです。
とはいえ、仕事を選ぶ段階では問うべき問い
やはり向いているか、向いていないか仕事選び上は気になりますよね。ちょっと矛盾したこと言ってますが。
これから仕事を選ぶ人に向けては、コンサルタントより他の仕事を選んだほうがいいだろうな、と思う人は確実にいると思っています。
それはまた次のエントリで書きたいと思います
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ちなみに、弱っている私の「向いていないのだろうか」という問いに対して、期待していたような返事はくれなかったPMですが、その代わり、少し話したあと、
「私はぐっちさんには期待しているんですよ」
と言ってくれました。
その人は優しいですが仕事に対しては当然シビアな人なので、その言葉が凄くうれしかったのを覚えています。
その後もしばらく思い悩む日々は続きましたが、「期待してもらっている」ことを支えに乗り越えることが出来ました。今ではもう少しコンサルらしい仕事が出来ていると思います。
その言葉が弱っている私に対するフォローの気持ちからなのか、本心からなのかは分かりませんが、どっちでもいいと思えるくらい、「こんな私でも期待してもらっている」と思えたことは私の支えになりました。
そのPMは今も大変尊敬しています。
自分も後輩に対してそんな言葉をかけてあげられる人になりたいです。
いつになることやら・・・。