ワーカホリックが「働き方改革」に思うこと
私は仕事が大好きだ
世で「働き方改革!」が叫ばれて久しい。
電通の過労死事件後、日本企業の働き方を変えるべく政府が頑張っている。
頑張っている政府を見て、うちも頑張らなきゃ、と謎の義務感から多くの企業が何等かの取り組みを行っている。確か大企業の7割が働き方改革に関連する取り組みを行っているらしい。
中でもフォーカスされるのは長時間労働の是正、ワークライフバランス、リモートワーク、といったもはやバズワードに近い施策の数々。
従業員からの支持も得やすくとっつきやすいからか、この辺をとりあえずやってみよう、という企業が多い。
一方で私はこういった世間の動きに拭い切れない違和感を抱いている。
もちろん、こういった議論でよく出てくる、「何のために働き方改革をやるのか、目的が不明確だ」とか、「何をすれば働き方改革なのか、しっかり定義できていない」とか、「自社に合った施策をやるべきだ」とか、そういうことも当然主張したいところだけど、既に語りつくされている気もする。
それよりも問いたいのは、
「みんなそんなに仕事嫌なの?」ということ。
仕事の時間は短い方がいい!というのが当たり前の前提とされている感があるのだけど、
ワークとライフを分けることにそもそも違和感がある。
私にとっては、仕事をしていく中で得られる一つ一つの達成感だったり、誰かにとっての価値を生み出せている、と感じられることだったり、その中で形成される同僚だったりお客様とのコミュニティが、生きていく上でものすごく大事なことだったりする。
勿論家族と過ごす時間はとても大事だけど、仕事が無かったら私のライフは成立しないとも思う。
ワークとライフを分けるべきじゃない、というのは、プライベートに仕事を持ち込みたいとか、長時間労働いいよね!、とかそういうことではなく、ワークはライフに対する阻害要因である、といったゼロサム論には違和感がある、ということ。
まあ、でも、分かるんですよね、今まで長時間労働を辞さない姿勢を取る経営者が多かった、という文脈で、極端に逆に振ることで変化のテコにしよう、という意図もあるだろうし。
選択できる、選択肢を持てるということ
じゃあ結局どうしたいのよ、どうしてほしいのよ、と私が問われたなら、一人ひとりが働き方を選べることが大事なのでは、と思う。あれ、書いてみたら案外月並みで落ち込む。
たくさん働いて成果を出して上に行きたいとかお金もらいたいとか思う人はそうしたらいいと思うし、ガツガツやりたくない人はそれを選べればいい。
一人ひとりのニーズに合わせた業務の割り振り、それで成果を最大化できるチーム・組織の構成、制度の設計、あと何よりも、そういう仕組みが組織の利益を最大化できる、と信じられるようになること、が達成できたら理想。
これは本質的だけど超難しい。
日本には画一的であることが正、という根強い文化があるから、「自分は頑張ってるのにあの人は」とか、周りと違う行動に対する耐性が弱い。周りがどうしてるかじゃなくて、自分はどうしたいのか、まずこの問いに答えられるサラリーマンが少ない。
組織のために真面目に己を捧げられるからこその弊害だとは思うけど。
労働時間、賃金、評価といった衛生要因だけじゃなくて、やりがいや達成感のような動機付け要因も含めて、何が自分にとってどれくらい大事なのか、どう働けたらハッピーなのか。
他方、組織設計するマネージャーにはメンバーの理解がものすごく求められるし、制度もカスタマイズすればするほど複雑になっていく。
そういう意味では組織マネジメントもマーケティングに近くなってきてる。より個人にテーラーメイドした形になってくる。
でもこういった動きは「できたらいいよね」というよりは「やらなきゃ死ぬ」っていう域に達するんだと思う
・人材の流動性はどんどん高まっていく
・人材不足の状況が続く
選択の権利が労働者側に移っていくとしたら、企業側としては従業員向け競争力を高めていくしかないよね。
ビジネスの原理がwin-winの関係を作ることであるように、組織にとって、個人にとって、お互いのメリットが最大化する状態をいかに作れるか。
労働力を提供する側としては、選択肢を持てる状態にあること(≒市場競争力を持った人材であること、か、もっと楽な考え方をすれば、よりよい環境を求めることを厭わないこと)は常に考えていたい。
働き方改革ブームをミクロに捉えてそんなことを考えてる。