東京カレンダー外銀女子のエッセイに見るバリキャリ女子の危険な価値観
こんなタイトルなので、さぞかし「ざまぁ」な展開が読めるのかと期待したんですが、何もかもがうまくいくステキライフを送っていた負けず嫌いガツガツ系女子が、社内応募で別のポジションに応募したものの選ばれなかった、という、大したことない挫折の話でがっかりしました。
そんなの挫折のうちに入るのか…?
デキるアメリカ人彼氏がいて、仕事も順調、おいおい、全然挫折してない。
まあ、挫折の大きさは主観的なものなので仕方ないですね。
ただ、このキラキラ記事を読んで、なんかわかる・・・、と思う点もありました。私は外銀と言ってもミドルオフィスでしたし、こんなキラキラライフは送っていませんが、プライドが高く負けず嫌いな女性が共通して持っている価値観なのかもしれません。
その価値観を持っているが故に失敗したこともあるので、つらつら書いていこうと思います。
1.「自分が尊敬できる人間」に惹かれる
皆多かれ少なかれ、尊敬できる人に惹かれるものだと思うんですが、こういう女性は「尊敬できるかどうか」のウェイトが異常に高い気がします。特に仕事面で。
自分が必死に努力して結果を出しているからこそ、そして負けん気が強いからこそ、「すごい」と手放しに思える人には惹かれてしまうんですよね。
逆にそうじゃないと、男として不甲斐ない、と思ってしまうのかもしれません。
私も、「好きなタイプは?」と聞かれたら「尊敬できる人」と即答していました。実際、同じ大学のゼミとか、職場とか、その人の能力がわかる場で出会った人しか好きにならなかったです。
でも、これもまたすごく危険な発想で。
超私見ですが、不倫や不幸な恋につながりやすい。
理由は2つあって
1.この年齢で「尊敬できる人」は自分より上の立場にいることが多く、そして多くの場合は結婚しているか、理由があって(遊んでて)結婚していないか、のパターンが多い。
2. 残念ながら「オレ、できる」系の人が負けん気が強い女性を好むケースは少なくて、優しい家庭派の本命彼女のサイドメニューとして扱われる可能性がある。
繰り返しますが、超私見です。…が、個人的に痛い目も見てます。
もちろん、「尊敬できる人」と一緒にいるのは大事なことですが、あまりにそのクライテリアに傾倒してしまうと、危険も多い、ということなのだと思います。
2.「人とは違う人間になりたい」
これね。
エッセイの中で彼女が努力をする理由として掲げるこの価値観は、残念ながら私にもありました。
人とは違う人間であることが、私を私足らしめる、そういう存在でいられることが私の価値であり、常に意識しなければいけない、と本気で思っていました。(ゲスの極み乙女。が歌ってそうな文章ですね…)
そういう価値観があったからこそ、留学して世界各国の人と関わってみたい、という意欲につながりましたし、所謂日本の大企業、へは就職しなかった。勉強においても仕事においても結果を出したい、という努力にもつながっていました。
ついでに、月9は見ない、DoCoMoよりJphone、という無駄な反メインストリーム主義にもつながっています。(今考えるとどうでもいいな…)
でもこの価値観って一方ですごく危険で、自分の価値を相対的にしか考えられない証拠でもあると思うんです。
人と比べてどうなのか、十分に「特別」な存在でいられてるか、人と比較してしか自分を定義できない人は、実はすごく弱い。
だって、周りは移り変わるものだから。もしかしたら、自分より優秀で努力していて、「特別」な人がわんさかいる世界に急に放り込まれるかもしれない。
そうした途端に自分は「特別」でなくなる。自分を定義することができなくなってしまうわけです。
私は今の仕事で幾度となく鼻っ柱を折られ、自分が特別ではないことを痛いほど思い知らされて、鬱になりかけて、やっと、人と違うことで自分を定義するのはやめよう、と思えるようになりました。変に「特別」じゃなくたって、私には私の価値がある、と。
あなたと違うから私なの なのか 私以外私じゃないの なのか
ネタ元はアレですが、とりあえず、後者のほうが、何かあった時に強く立っていられるものです。
残念ながらこのエッセイの中に出てくる彼女は大した挫折を経験しませんが、個人的な経験から独断と偏見で、彼女のような価値観の危険性をピックアップしてみました。
もっとある気もするけどこの辺で。
キラキラもほどほどに!