女性コンサルタントの頭ん中

業務コンサル会社に勤めて3年目 日々考えたことを書いてく

コンサルタントは実際どんだけ働いてるのか。長時間労働は恥ずかしいと思う今日このごろ

寝る時間もない?

コンサルタントだと言うと、よく「長時間労働なんでしょ?」と心配されます。

新卒採用のお手伝いでプレゼンなんかやっても、「激務ですか?」は鉄板の質問です。何回かプレゼンする説明会の場では、あまりに聞かれるので、1日の時間割を紙に書いて貼り出してたほど。

一応、聞かれた際には今所属しているプロジェクト前提で答えてますが、これはファームによっても、プロジェクトによっても、かなりばらつきがあるんだと思います。

世間で言われてるような、3日完徹、みたいな勤務時間かますファームもありますし、実際にそれをやってた人も知ってます。 ただ一つ言えるのは、私にはそんな生活はできない。ということです。

昔から遊びでさえ朝4時が限界だった私にとって、ちゃんと頭使おうと思ったら許される時間はそんなに長くありません。もう少し基礎体力があればそういう選択肢もあったのかな…。

 

というわけで、実情の話

私はここ1年くらい、平均で夜8、9時くらいには帰ってます。ちょいちょい(2週に1度くらい)終電間近になるくらい。土日出勤は基本無し。 1番辛かったプロジェクト(まさかの最初に配属されたプロジェクトが最初から炎上してるっていう鬼仕様)では朝7時〜23時くらいまでやってましたが、今考えると時間の長さにしては大した価値出せてなかったな…。

正直、コンサルタントという仕事に対して激務というイメージを持っていたので、拍子抜けする部分はありましたが、やることちゃんとできてれば問題ないので、こうやってブログも書けるし、ラジオも聞ける。ありがたいです。

激務、の基準は人によって違うにせよ、これくらいなら心配しなくても大丈夫かな、と思ってもらえたら幸いです。

 

 

生産性のお話

そういえば、うちの会社では、特に難しい仕事に入る前に受けるトレーニングがあります。

その中で繰り返し言われるのが、

生産性は作った資料やこなしたタスクの数が多ければ多いほど良いわけじゃない

ということです。

じゃあ、なにで測るのか。

生産性=目的の達成度合い÷かけた時間 であると。

両者は似ているようで違います。

たとえば、プロジェクトオーナーに会議の中で投資判断を求めるための資料なのに、算出根拠だの前提だの長々と並びたてる立派な資料を作ってしまったとしたら。

恐らく、その資料は使われない、もしくは、ちょろっとリファレンス程度に使われることでしょう。

作成した資料の量もクオリティも高いかもしれません。ただ目的を達成するために前進したか、という観点でみると、進捗はゼロです。よって生産性も低い。

逆に言えば、目的さえ達成できれば、時間をかける必要もない。時にパワーポイントで資料をがっつり作るよりも、紙に書いて議論したほうが生産性は高いケースなんか、いくらでもあります。

世の激務なコンサルタント(かくいう私もプロジェクトによってはいつ激務になるか分からないのだけど…)は大変優秀な人が多いので、彼らの生産性でも激務になるとはどんな無理難題なのだろうか、と震える次第です。

たまに、長時間労働してるってなんかかっこいいよね、と勘違いして忙しいアピールしてくる人がいたりしますが、不要な激務は避けたいですね…!

「女性の視点がいい」って褒められてもうれしくない。属性で個人を打ち消す罪について

『「あー、はいはい」となる褒められ方ってあるよね』

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先週の朝井リョウ加藤千恵のANN0を聴いていて、語っておきたいと思った台詞があります。

朝井さんのフリートークゾーン、「伊坂幸太郎さんを褒めようとして失敗した」、というトークの流れでこんな感じの会話がありました。(正確に書き起こす気がなくてごめんなさい・・・)

朝井さん「すごく手の込んだ料理を作ったのに、期待したところと全然違うところ褒められてがっかりするような、あーはいはい、ってなる褒められ方ってあるじゃないですか。例えば、僕は、瑞々しい表現、って言われると、あーはいはい。それって若いからでしょ、って思う」

加藤さん「それでいうと、私は女性の視点が・・・と言われると複雑な気持ちになる、女性であることを選んだわけじゃないし。嬉しいんだけどね」

 

このやりとりについて、勝手ながら考えていました。

二人が言う、あーはいはい、と思う褒められ方について、なぜそう思うのか考えると、若さ、とか、女性、とか、いわゆる、「属性」≒予め備わっている分類 を褒められることで、「個人」の積み重ねや努力が打ち消されてしまう(ように受け取れる)からじゃないかと。

すごく、よくわかる。

 

属性と個人の複雑な関係

私自身も、こういうことに割りとよく気付きます。

しかもある種不幸なことに、自分の属性が目だってしまう環境に身をおいてしまったので、不快な思いをすることもしばしば・・・。

メジャーな属性同士であれば、属性で判断されることは少ないけど、少ないとどうしても目立つので、属性に言及しがちなのかもしれません。現業界で言えば、男性、30代-40代、既婚子持ちがメジャー属性の中に、20代女性が1割弱混ざってたらそりゃ目立ちますよね。

 

実際あった話で言うと、例えば、留学中はアジア人女性フェチの男性に言い寄られて嫌悪感を覚えました。その人は本当に、アジア人なら誰でもいいんじゃないか、って勢いで手当たり次第、な人で・・・。「私」が好きなのか、アジア人の性質、ルックスが好きなのか、で言うと後者だな、とげんなり・・・。

社会人になってからも、女性だから○○部に気に入られてるんだろうね、と言われたことがありました。「女性だから」ってどういう意味?「女性だから」で説明できることなんて、すごく少ないはずなのに。

 

「女性」や「アジア人」という属性も、自分の一部なのだから素直に受け取ればいいじゃない、という思いもあります。

ただ、お客様と少しでも距離を縮められるように接し方を工夫していたり、日々アウトプットの質を高められるように努力していても、「女性だから」で括ってしまった瞬間に、その価値評価に「個人」は見えなくなってしまうと思うんです。

そんなの、「あーはいはい」、どころか悲しくなります。

カトチエが言うとおり、私も、女性であることを選んだわけじゃないし、アジア人であることを選んだわけじゃない。それはすでに私に備わっていたものであり、努力して、願わくば評価されたいと望む対象とはやはり違う。

 

承認欲求が強いほどダメージは大きい

なぜ、価値評価に「個人」が見えていることが大事なのか。

それは承認欲求の根本に、「自分の存在を認めてほしい」という欲求があるからなのでは、と思います。

恋愛でも、他の人ではなく私を大事にしてほしい、と思う人は多いでしょう。

仕事でも、自分の代わりはいくらでもいる、と思うのは(現実思考だけど)辛い。

「個人」でなく「属性」で評価されるということは、自分ではない誰かでも評価されうる、ということであり、承認欲求的に言えば褒められている状態ではない。

 

安易に属性で褒めることは、私のように褒めて褒めて!認めて!というタイプの人間には結構傷つく仕打ちなんです。

 

朝井さんとカトチエさんのトークにのっからせてもらいましたが、(しかもご本人たちの意図と違うことを長々書いているかもしれないけれど)

自分もちゃんと個人を評価できる人間になりたいし、少しでも多くの人がこの違いに気付いてくれるといいな、と思っています。

 

完全余談ですけど、カトチエさんのクレイジーな免許トーク本当に面白かった。セフレ論争、センター試験の話に並ぶインパクト。価値観狂ってるって意味ではクレイジー枠は実は朝井さんじゃなくてカトチエなのでしょう・・・。

 

「意識高い系」という言葉は皮肉と羨望でできている

意識高い系とは

最近よく聞かれるようになった、意識高い系という言葉。

元々は、やたらと学生活動を立ち上げたり、就職活動時に自己アピールを盛って話すような人のことを揶揄する言葉だったらしいです。学生活動の募集要項に、意識高い学生が集まってます、という文句が多かったそうで。

今や学生界隈の枠を飛び超えて使われるようになりました。言葉が使われるうちに進化して、今は「意識高い系」にはいくつかのニュアンスがあるように思います。

総じて、好ましくない方向に。

意識高い系の行動例を挙げるとこんな感じかと。

1.自己啓発に一生懸命(例:成長するためには1日本2冊は基本だよね?)

2.あなたとはちがう、アピール(例:日本人が行かないところに旅行するのが好きなんだー一回行ってみた方がいいよ、もったいないよ!)

3.忙しい私、素敵でしょ?(例:昨日仕事12時までやって、これから予定3つあるの)

4.考えは素晴らしいが行動が伴わない(例:あの人とはお互いに同じ方向を向けるような関係を築けなかった、高め合える関係じゃなかったの)

 

デフォルトの返しは、わーすごいね、これで決まりです。

(実は例文は実際に最近会った意識高い系の方の発言引用させていただきました)

 

意識高い系は悪いことなのか?

最近、テンプレのような意識高い系の方に出会ってから、果たして、意識高い系というのは悪いことなのだろうか。ということを考えています。

人に不快感を与えることは確かです。

では、なにに対しての不快感なのか。

私なりの解釈としてたどり着いた結論があります。

 

1.価値観を決めつけられた上で、なんだか見下されている感

2.私はそこまでできません、それができるあなたはすごいですね、と思わされる劣等感

 

なのかな、と思い至りました。

なお、私が出会った意識高い系の方は、本当にすごい努力してるし、素敵な経験もされている方です。口だけの意識高い系は単に嫌悪感です。

1に関して言うと、やはり、自分の努力や経験をそれみよがしに語るのは、自分が意図していなくても、相手よりも自分が特別な存在である、ことを強調しているように感じさせるため、好ましくはないのでしょうね。

わざわざ、普通の人はこんなことしないと思うけど…と話を始めたり、私って変だよね?とか前置きされると、普通=つまらない、特別な私=すごい、と嫌が応にも変換してしまうものです。

ただし、2に関して言うと、意識高い系の本人ではなく、どちらかというと、受け手の、自分に対する後ろめたさに起因すると思うのです。

私は何を隠そう、他の人から見たら立派な意識高い系です。自己啓発に余念がないし、多少ストイックになれるし、自分の存在には特別な意味があるはずだ、と思っちゃうタイプです。

そんな、自分に酔う要素が、仕事でもモチベーションになってた部分があったんです。

それが、今回、初めてこの人意識高い系だなーと客観的に思う人に出会って、もう、自分には、彼女のように、自分を特別な存在として仕立てたい、と思う気力がないんだな、と気付いてしまったことで、自分には向上心が欠如しているような気になってしまったんです。

それが劣等感という不快要素になってしまった、そんな気がしています。

 

意識高いこと自体は悪いことじゃない

だから、私は意識が高いこと自体は悪いことだと思いません。それだけ自分の価値観をはっきり持ち、それに沿って努力できているんだから。

ただ、それを人に伝える必要があるのか、どう伝えるのか、ということを考えた時に、ちゃんと考えないと、意識高い系(笑)になってしまうのだと思うんです。

それと、受け手として、意識高い人を羨むくらいなら、もう少し努力してみよう、と思えれば、お互いにもう少し生きやすくなるのかも。

簡単なことではないけれど。

意識高く努力してる人が、笑われることのないように!

【旅行】思わず笑った伊豆のおもてなし画像たち

伊豆行ってきました

 

チームメイトと伊豆に旅行してきました。

春先の伊豆は本当に綺麗で、疲れ気味の心も癒されます。

美しい景色もさることながら、今回の旅行ではちょっとおかしな光景をいくつか発見したのでご紹介したいと思います。

 

なんか走ってる感

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土肥の観光案内所でみつけたサイン。

無線ラン…という見慣れない言葉…よく考えてみるとWiFiのことですね!

何歩か譲っても無線LANでしょう…。ちょっと走ってる感出ちゃってます。

さらによくよく考えると、無線LANあります、とか使えます、が普通ですね。

気持ちはわかるけども!

 

衝撃の地図

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これ、なんだと思いますか?スクラップがやってるリアル脱出ゲームのヒントなんかにも似てますね。

いえ、違います。地図なんです。

海と現在地の間にトイレがある、というぼんやりとした関係性が見えますね。

これも同じく土肥の観光案内所でみつけたのですが、どうやら、トイレの場所を伝えたいようなのです。

大きいのと小さいの2つあるのでしょうか…。

それにしても、海 って。笑

道の表記がない地図ってのも斬新。よく地図だって気付いたな私…。

この地図見て5分後くらいに、トイレどこですか? って聞いてる自分がいました。

そりゃあそうだよね…。

 

なんかすごく多く見える

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最後はこれ。堂ヶ島のおみやげ屋さんで発見。

なんか、数字すごく大きい数字に見えませんか?

これ、500万箱なんですけど、数字が全く入ってこない。笑

カンマをふるか万円表記に慣れた結果でしょうか…。

私以外のチームメイトも5億かと思った、とか言ってたので、私だけではないようで。

ただ、あえてこの表記にすることで多く見せているのかもしれないと思うとなかなか興味深い。

真相はいかに…。

 

おもてなししたい感がおかしな方向にいってる写真たちでした。笑

 

伊豆、おすすめです

ちなみに、今の時期の伊豆は、梅の花や菜の花、桜が綺麗に咲いていて、本当に綺麗です!

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今回の旅ではジオポイントをいくつかまわったのですが、堂ヶ島の景色は本当に綺麗でした!船で海岸線を解説付きでみつつ、洞窟の中に少し入るのですが、地層の見え方が壮大で、洞窟の中も光の差し込み具合が神々しくてもう。

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個人的な感想ですが、日本三景の松島よりも全然綺麗!

都心からも近いのでぜひ行ってみてください!

社会人におけるバレンタインの意味を考える

今週のお題「バレンタインデー」

 

そうですね、

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あと4日でバレンタイン。はてぶのお題にのっかってみます。

私は行事ごとが好きなので、12月になるとクリスマスでうきうきするし、今流行りのハロウィンも、嫌いじゃない。

バレンタインも例に違わず、昔から律儀に家族に、好きな人に、チョコを渡してきました。

アメリカでは日本のバレンタインとは違い、男の子が女の子をもてなす日なので、大学留学中は花束を頂いたり、食事に連れて行ってもらったりしました。(普通なんですよー)そういえば授業中にバラの花束が届く女の子とかいたなぁ。

それでも、日本では女の子がチョコをあげる日なんだよ、といってチョコケーキを作るも、なぜか膨らまずにフリスビーのような形の黒い何かが出来上がる、という事件も起こしたりしてました。

(1ピースだけ食べられて捨てられていたのを発見し、パックマンみたいだな・・・と思ったのを思い出します)

 

社会人になって変わったチョコの意味

社会人になって2年間は、バレンタインデーは私にとって学生時代となんら変わらず、チョコ交換が行われるプチイベントでした。外資のミドルオフィスだった時代です。

同期の女の子と手作りのチョコを作って配ったりしてました。

それが変わったのは、今の会社に入社した年です。

周りは男性ばかりの職場、お客さんと直接日々やり取りする環境だったのですが、私の前にいた女性コンサルが伝説を残してまして。

彼女、本当にデキる女の人で、どうやら関わりがある男性のお客さん全員にチョコを配ったそうで。関わりが濃い人も、薄めの人も、みんな。

その結果、ホワイトデーには机に山積みのお返しが奉納される結果に。

ちなみにみなさんその方にメロメロ。もちろんもともときれいな方だ、というのもありますが。

それで皆、私もやるべきだよ!今年はやるんでしょ?と言ってきたのですが、

私は最初、正直なところそのやり方が少し嫌いでした。

そんだけ義理チョコくばりまくる、って、あげるほうももらうほうも、気を使うし、なんだか押し付けのようで

心からの気持ちでチョコをあげる自分でいたい、と思っていた部分がありました。

 

相手が喜んでくれるなら

とはいえ、やらないわけにもいかず。

でもやはりいつもお世話になっている、と思える人に感謝の気持ちをこめてチョコを渡そう、と思い至り。

それでも20個ぐらいはチョコ爆買い。

それでせめて気持ちが伝わるように、ということで一人ひとり渡しに行ったんです。

そしたら、みんな思ったよりも喜んでくれて。

驚いたような表情のあと、照れながらも喜ぶ。

あら、世間で言われているよりも、義理チョコに対するやれやれ感ってないのね

ということと、あれ、思った以上に渡しているこっちもうれしいのね、という気付き。

義理チョコ、と言ってしまうとすごく味気ないけれど、心をこめて感謝の気持ちを渡せば、マイナスになることはなくて、むしろ、なんだかんだで相手が喜ぶ顔が見れる。

相手にとっても、私がポジティブな感情を持っている、ということを受け取る機会になる。それがきっかけで前よりも距離が縮まる人も実際にいたり。

あげるのももらうのも義務になってしまうのはなんか違うけれど、本当に相手に好意を伝えたい気持ちがあれば、相手との関係性を築くきっかけにもなる。

先輩がそこまでの意図を持ってやっていたかはわからないけれど、彼女のお陰で先入観をとりはらって新しい価値を見出せたなぁと、思った年なのでした。

 

ホワイトデーは・・・

ちなみに、ホワイトデーのお返しは机に積み重なりました。1ヶ月以上はそれでお菓子が足りてしまった・・・!とはいえ、それは単純に結果として。

なんだか器が測られている気がして、男性からしたらお返しに気合を入れてしまうものなのだろうか。

良し悪しはほとんど差がなくて、お返しに現れる人柄を見るのが楽しいな、と思います。

奥さんと一緒に選んで実用的なハンドクリームをくれたり、グルメだからおいしいところ、にこだわってくれたり。

人柄を見て楽しむものだな、と思っています。

 

カラオケが苦手な女子におすすめの10曲、これでどうにか凌ごう

カラオケが苦手

仕事へのモチベーションがだだ下がっていてどうにもならない今日この頃。

モチベーションが下がると言えば、カラオケ。

なんだかんだで日本の娯楽文化には欠かせないので、好むと好まないとに関わらず行く機会も多いかと思います。

私はカラオケが苦手です。

全く自信持って歌えないし、何歌えばいいかわからないし、なにより、歌っている自分に皆が集中している、という状態の耐え難い恥ずかしさ。

数曲終わって、お酒も入って、楽しい雰囲気が作られて、もう誰がなに歌おうがある程度盛り上がる、という状態ならまだしも、序盤で「ほら、歌って」と曲を入れる機械を手渡された瞬間の気持ちといったらもう。

消えたい。

私にかまわず先に進んで! という漫画のクライマックスシーンみたいな台詞を叫びたくなります。

まぁ、お客様も一緒の場だったりするとさすがにそういうわけにもいかないので、レパートリー、というものを用意するようになりました。

難しくなく、さらっと歌えて、まーまー盛り上がって、無難にいける、的な曲たちを。

歌いやすさは人それぞれだったりするのでしょうが、参考までに共有しようと思います。少しでも悩める女子の役に立つといいな・・・。

 

厳選10曲(お仕事カラオケ想定)

RPGSEKAI NO OWARI

 とりあえず、流行ってるのでしょう・・・?(どんだけ前)

 歌いやすいし、知っている人を巻き込んでなんとなくみんなで歌う風にしやすい曲。

 

・飾りじゃないのよ涙は(山口百恵

 おじさまが多めの飲み会の時はこういうの歌っておくと喜んでくれます。

 

・キラキラ(aiko

 これは私の趣味かもしれない。でも明るい曲だし喉が開く気がする。序盤に、どさくさにまぎれて入れておく

 

・キセキ(GREEEEEN)

 青春。どの年代でもどこかで聞いたことある、となる曲。女性でも実は歌いやすい。

 

ヘビーローテーションAKB48

 友達同士だといまさら感ありますが、なんだかんだで、おじさまは好きなのです。PVバージョンなことが多いので、誰が好き、この子がかわいい、というトークで盛り上がれる。

 

天体観測BUMP OF CHICKEN

 歌いやすい。30代くらいが多い飲み会では盛り上がる。

 

・つけまつける(きゃりーぱみゅぱみゅ

 これもPV見て盛り上がれる系。おじさん多くてもきゃりーは知ってる。

 

・女々しくて(ゴールデンボンバー

 やっぱりなんだかんだで盛り上がる。これも知らぬ間に他の人にバトンタッチできる系の曲。

 

・シャングリラ(チャットモンチー

 歌いやすい。短いし、かわいい雰囲気でなんか乗り切れる。

 

キューティーハニー(こうだくみ)

 お酒が入って吹っ切れて、サービス精神旺盛なときなら。無難ではないですねぇ。

 

ぜひあなたのおすすめも教えてください。レパートリー滅多に更新されないので・・・。

曲入れる機械渡されても震えなくなる日を夢見て!

優秀な人は社畜に、使えない人は定時帰りのゆったりライフ。絵に描いたような大企業の実態

こんな会社はいやだ

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ちょっとネガティブな内容になってしまうけれど、ある会社が絵に描いたような、日本のダメな大企業すぎるので、その実態を記しておこうと思います。

東証一部上場、社員8,000人以上を擁し、都内の一等地にオフィスを構えるれっきとした大企業。社会人であれば少なくても名前は聞いたことがあるはず。(言えないけど)

一緒にプロジェクトをやることになり、10人ほど深く関わらせていただいたのですが、もう、カルチャーショックの連続でした。

前提として、私は1社目外資系、2社目はちょっと変わったコンサル会社に勤めている身なので、日本の企業カルチャーに元々免疫が無かった、ということは申し上げておきます。

とはいえ、これはヒドイ。

たとえばどんなことがひどいかというと。

・一日中コーヒーを飲んで、文字通り全く、何も、本当に、何も、仕事をしない人がいる

・そういう人でも役職が付く七不思議

・優秀な人はいますが、上記のような人の尻拭いをしなければならないので、過剰な負担がかかり鬱を患う方続出

・ある部は仕事の過酷さゆえ離婚率が異常に高い(たぶん50%を超えてる)

・責任を取る文化が無く、どう考えてもうまくいかない事業でもやめる決断をする人がおらず、コストを垂れ流す

・女性はとりあえず軽視

・メールの過剰な敬称呼び、部長殿 とか言っちゃう

なんちゅーか、あまりにも絵に描いたような日本のダメな大企業なので心底驚きました。本当にこんな会社あるんだ・・・。

 

お仕事丸投げマン

もう少し詳しくその信じられない実態を晒していこうと思います。新卒の皆様、こんな大企業に入るくらいならぜひ我が社に・・・。

私の中でこの会社の闇の象徴のような方がいらっしゃるのですが、この人のすごさといったらもう。プロ丸投げマン、と言っても過言ではない。

どんな仕事でも、闘牛士よろしくヒラリとかわしてしまうのです。

「Aさん、明日のお客様訪問の役割分担どうしましょうか。」

「うーん、自己紹介まではやるからあとよろしく」

「Aさん、あの資料作っていただけませんか」

「ちょっと水曜まで忙しいから難しいんだよね」

嘘つけ。

自分よりも30歳近く若い子に丸投げ。しかも、自分は優雅にコーヒーをぷかぷか飲んでいる。

資料ちょっと作れないくらい忙しいわけない。

しかも、どうしても自分が話さなければいけないプレゼンが迫ってきた際には、始業前に他の人を呼びつけ話さなければいけないことを一からなぞる。

なんでも、長いこと既存客の営業だったらしく、いかに効率よく、お客様の機嫌を損ねずに、(自分は仕事をせず)日々をすごせるか、を極めてきた人だそうで。

打ち合わせの際の発言は最低限。言葉を発したと思うと、その場にいる一番偉い人に同意する発言を長々と。

マジで、打ち合わせの度に、

あなたはなんのためにここにいるのですか。

と真剣に思うのです。

そんな人でも役職がついてしまうのだから本当に不思議。

たぶん、パフォーマンスがよくなくても時間さえ重ねていけば徐々に上に上がっていける環境で、自分の仕事の価値を高めよう、などと考える神経が死んでしまったのだと思うんですよね・・・。

ああ、怖い。怖すぎる。

 

「責任」という言葉なんてどこ探しても無い

この企業のもう一つ恐ろしい特徴として、誰も「責任」という言葉を知らないかのような、責任の所在不明っぷりが挙げられます。

別に、up or outみたいな文化がいいよね!と言ってるわけではないのです。(うちも違うし)

だけど、リスクをとることに対して誰も踏み出さないし、失敗した時に損切りする決断も誰もできない。

一応、あるんですよ、投資の良し悪しを判断するための委員会的な。偉い人たちが集まって案件を精査する的な仕組みも。

だけど、そこで議論されることって、「こういうところも精査したほうがいい」「こういうことも考えたほうがいい」結論、「条件つきで承認」みたいな。

白なのか黒なのかよくわからない判断。

怖いぐらい、みんなどこか他人ごとなのです。

小さくない額が動いているのに、少なくても私の目からはあの人たちが責任を意識しながら判断を下しているようには見えない。

自分じゃない誰かの責任になることを想定しているんだろうか。

それとも、責任という言葉自体存在しないんだろうか。

責任って、感じすぎてしまうと身動き取れなくなってしまうけど、企業活動においてよい判断を下すためには必要な要素だと思うんです。責任を感じるから成功させるために必死になったり、引くべき時に引き際が判断できる。

案件を精査する委員会でもグレーな判断が下される。人事評価には降格はない。恐らくあの会社にはそもそも、責任を取るための制度も術も無いと思うんです

それに。まずいことに、上が責任を取らないとどうなるかというと、優秀な下の人は責任の意識に苛まれて鬱になるか、苛まれた結果諦めの境地に達し、上と同じ道を選ぶか、といった状態に陥ります。元々責任感が無い人は苦労もなくのほほんと時間をすごせます。

責任を取らない組織に、いいビジネスが、人材が、育つわけない、と思ってしまうのですよ。

 

とはいえ、価値観は人それぞれ

ちょっと訳あって怒りに任せて書いてしまいました。

これくらい結構普通の企業カルチャーなんだろうか・・・。雇用は安定しているし給与も悪くないので、こういうとこがいい、と思う人もきっといるのでしょう。

ちなみに、この会社は近年売り上げが伸びず市場でも苦戦しています。

私にとってはこんな非合理的な会社、ブラック企業と同じくらい怖いです。