自分も部下も。自尊心と自己嫌悪の健全なバランスについて
成長って言葉は嫌い
いきなりですが、「成長」って言葉は嫌いです。
なぜなら、すごく内向きだから。自分、自分、な感じがして。
成長って目的じゃなくて、ただの結果。社会人になってしばらくはその違いはわからなかったけれど。
毎日毎日目の前のこと必死でやって、誰かに少しでも役に立つために試行錯誤した結果、自分ができることが少しずつ増えていく。
そうやってもがいて得られる変化だから意味があるのであって、成長するための仕事なんて、ただの自己満足。
お勉強じゃないんだから。
自分の知識や経験を増やすために時間を使えた学生時代と、社会の一角を担う社会人という立場の大きな違いなのかもしれない。
この前提があった上での、成長の話。
自己嫌悪と自尊心
この言葉は私が就職活動中に某コンサル会社の説明会で聞いた言葉です。
その方が仰っていた「成長に必要なのは適度な自己嫌悪と自尊心のバランスだと思う」という言葉がやけに心に残っています。
少しなにかうまくいって、少しだけ自分を誇る自尊心が生まれて
で、次の仕事に臨んだらメタメタに言われちゃって、自分だめだ…って思う。
そんな登ったり下がったりを繰り返して、少しずつ積み重ねていく。
ミルフィーユみたいに、繊細な層を重ねてく。
クリームとパイのどちらかが多すぎてもバランス崩して倒れちゃうので、注意を払わなきゃいけない。
これは実際に働いてみてもそうだな、と思います。
うまくいきすぎてる時って、しばらくすると慣れてくるんですよね。仕事はうまくいってるけど3ヶ月前の自分とできることがなんら変わってない。
変わってないだけならまだしも、怖いのは、だんだん自分の中に驕りが生まれてくる。
なんだか自分がちょっとそれなりな人みたいに思えてくる。
そうすると、改善すべき点が見えなくなっていく。自分でできると思うから、周りのアドバイスもあんまり響かなくなっていく。お客様へのパフォーマンスも結果、知らず知らずのうちに下がってくる。
自尊心の先にあるのは間違いなく成長の頭打ちと、少なからず結果としても現れるはずです。
一方で、自己嫌悪が積もりすぎても凄い危険。
自己嫌悪、というと言葉キツ目ですけど、なにかだめなことがある、改善すべき点がある、ということは、本来、伸びしろに気づいている、ということでもある。
ただ、言わずもがなだけど、自己嫌悪があまりに続くと伸びしろを埋めるためのポジティブエネルギーが切れてしまいます。だって、自分のだめなとこと向き合うのって、決して楽しい作業じゃないから。
だから、適度な自己肯定と自己否定を繰り返して、自尊心と自己嫌悪のバランスを保つって、すごく大事。
自分でも今どっちに寄っているのか客観的に認識しておきたいし、部下ができたら、ちゃんと見極めた上で接したい。
簡単なことじゃないけれど。