いいモノを作るために本気で殴る勇気と殴られる勇気
初めてチームメイトに手を上げた
と、言っても、さすがに文字通り拳を振り上げた訳ではないのですが。
今日、お客様とチームメイトと行った打ち合わせ、お題はデータと仮説を元に、ある提案の方向性を決めること。(守秘義務があるのでご容赦を)
チームメイトの1人である、秀才の若手男性コンサル(Aくん)が担当の領域だったため、彼が前に立ち、打ち合わせを仕切っていました。 1.5時間、お客様のキーマン、SEの方も含めての場。
打ち合わせ後、チーム内で振り返りをしました。 Aくんは、うまくいかなかった、という思いを語り、お客様に引っ張られてしまった、用意したものが使われなかった、と原因を分析しました。
ただ、この点と、この点は良かった、とも。
なるほど…。
私のコメントする番になり、キッパリと一蹴しました。
「用意したものか使われなかったのは引っ張られたからじゃない、何がしたいのか明確じゃなかったから。 」
「そもそも、打ち合わせのゴールがよくわからなかった」
「さっきの打ち合わせは正直、良くなかった」
ここまではっきりと、失敗を指摘したのは初めてです。
殊更に、あなたのリードは良くなかった、と。
言われた側のAくんも、確かに、というものの、先ほどと比べると表情が固い。
ある程度彼の心に痛みを生じさせようと言葉を選んだ。
ああ、親が鉄拳制裁振るう時ってこんな感じなんだろうか…。
痛みが無いと分からないこと
その打ち合わせ後、私は正直憤っていました。
理由は、圧倒的に品質が低かったから。
彼の進め方は出席者を置いてけぼりにしてしまい、結論が出せないのはもとより、参加者の中にもやもやとした感情だけが残してしまいました。
これまでの信頼関係があるので不満には至りませんでしたが、明らかに満足した、という状態ではない。ゴールも達成できていない。
打ち合わせというものは、複数の忙しい方の時間を一度に使ってしまう、コストの高い場です。生産性には細心の注意を払わなければいけないのに。
チームとしてもフォローしきれなかったことに、私も少なからず責任を感じていました。 だからこそ、振り返りで反省と改善に向けた言葉を期待していたのですが…。 自分の失敗として受け止めていない。 人間、痛い目を見なければ本気でなんとかしようと思わないものです。
しかも、自分の頬を本気で殴ることなんてできないように、どうしても自分のことは守りたくなるもの。
それが分かっているからこそ、本気で殴る。 ちゃんと痛い、と思えるように。
私も、ものすごいストレート連打してくるPMに殴られて、やっと気付けたこともあったなぁ。
わざわざ殴るも殴られるも、大分面倒でエネルギーがいることなのだけど。
そうやって、本気で殴って、殴られて、もう殴られないように努力しよう、と強くなって、一つ一つのアウトプットの品質を高めていく。
自分にも、チームメイトにも厳しくあることは、サービスの品質基準を高く保っていくために必要なことだと思います。
でもこれって、よく考えたらお互いに対する信頼感があるからできることかも。 もちろん、Aくんに殴られるのもウェルカム。
最終的にただのドMみたい。笑