内藤哲也を語りたいー棚橋の二番煎じに見えた過去
今年のイッテンヨン
残念ながら現地で観戦はならなかったけれど、その盛り上がりはTwitterを通して十二分に伝わってきました。
以前この記事でも長々書いた通り、プロレスは好きで不定期で観戦しております。
正直ここのところ、専らWWEでASUKAや真輔を応援していたのだけど、久しぶりに新日の試合をテレビで観戦することができました。
さすがG1と並ぶ目玉公演、どの試合も見応えがある試合です。新日らしい、ガチンコとショーの狭間をうまく演出していて、久しぶりに観る身としては「ああ、これこれ」という感覚。ケニーのアンテ入場、片翼の天使コスは個人的に大変盛り上がりました・・・。
オカダ対ジェイ・ホワイト、メインの棚橋復活劇も大変胸熱でしたが、私にとって一番魅力的に映ったのは内藤vsクリス・ジェリコ戦でした。
ジェリコの見せ方、ショーの盛り上げ方も素晴らしかったけど、なんといっても内藤が纏うオーラがもう、
素晴らしくて
入場からもう存在感。
このリングの、ドームの中心は俺だ、と言わんばかりの自信に漲ってて、ファンもそれに呼応して。
戦い方もヒール同士らしくパイプ椅子やら竹刀やらが映える映える。
(WWE脳としてはもう少し激しく反則技繰り出してくれても良かったけど、その辺がショープロレスとの境目なのかもしれない)
デスティーノの見映えの良さもたまらない。
体の使い方が複雑かつ流れるようで、技が決まった瞬間テレビに向かって「うわ、美しい・・」と呟いてしまいました。
棚橋二号のようなベビー時代
語りつくされているであろうことは承知の上で、内藤について私が感じてきたことを語ろうと思います。
5年前ほど前、私が新日を観始めた頃、内藤哲也は今の状態からは想像もつかないようなザ・ベビーフェイスのレスラーでした。
正統派レスラーだった中邑真輔が今の独特のスタイルを築き上げていったように、プリンス・デイヴィッドがWWEではフィンベイラーと名乗り、たまにDamonなるキャラで人外の姿を演じているように、レスラーのキャラチェンジはよくある話ではあります。
ただ、5年前の内藤の姿はすごく記憶に残っていて。
第一印象は「すごく身体能力が高くてプロレスが上手い選手」でした。
その頃内藤はすでにタイトル戦線に絡む新日の顔の一人です。
ただ、上手いのに、ベビーなのに、酷い時はブーイングさえ受けるほど、ファンからの支持が得られていませんでした。
その理由は明確には分かりません。人気の有無なんて言語化できるものじゃない。
ただ、「華が足りない」ことは確かだったのかもしれません。
真面目な性格が試合からもリング外のスタンスからも伝わってきて、世界観が作れていなかった、プロレス好きな少年がそのまま努力して上手くなったそのままというか。
白くてキラキラめの衣装も、少しロック調の入場音楽も、コーナーから飛んでかける必殺技も、どこか逸材・棚橋の二番煎じのようでした。(フィニッシュなんかは今見ても棚橋より全然美しかったんですけどね・・)
団体はもしかしたら、「棚橋の後継者」という位置づけで内藤を推していきたかったのかもしれません。ただ内藤は棚橋よりも圧倒的に真面目(棚橋が真面目でないという意味ではなく、売りにできるチャラさのようなものが無いという意味で)だったように思います。
同じことをやるなら本家を超えないと支持は得られない。
そんな内藤の姿に、本当にもったいない、と感じたことを強く覚えています。
ただその壁を乗り越えるのは容易ではないのだろうな、とも。それは「カリスマ性を身に着ける」という途方もないプロセスだから。
カリスマ性への挑戦
暫くの期間を経て戻ってきた内藤はこれまでのベビー路線から一転、これまでにないヒール像を引っ提げて帰ってきました。
いつまで経ってもリングインしない。
パレハとか言ってマスクを取っても正直よくわからないレスラーを仲間として引き連れて
なんだか長い名前の団体(ろすいんごぶれなぶ・・・・)に入ったらしい。
そこにはベビー時代のキラキラスタイルよりも断然輝く内藤哲也がいました。
分かりやすく、特徴のあるキャラクターをつけて、内藤の真面目さを以てキャラを演じ切る。誰かの二番煎じではなく、誰もやったことのない、まだ見たこともないスタイル。次に何が出てくるのか分からないわくわく感、高揚感。
加えて、元から備わっているプロレススキルもまた、デスティーノという独特かつなんかかっこいい動きの決め技で存分に活かされていて、「あ、これ、掴んだな」と。(関係ないけどデスティーノっていうネーミング最高ですよね・・)
正直、この期間にどんな葛藤があったのか、誰からどんなアドバイスがあったのか、実際のところは分かりませんが、きっとレスラーとして最も脂が乗る時期に「内藤哲也」として誰よりも輝くために、様々な方向性を模索して、受け入れられなかったらこれまでのポジションを失うリスクを冒してでも、独自の路線で挑戦することを決断したのだと思うと。そんなんもはや、
泣ける。
イッテンヨンでは幾度となく「カリスマ」と称された内藤哲也。
当初思い描いた形ではないかもしれないけれど、新日の一時代を築いた棚橋弘至にも負けない存在感を確かに放っていました。
ただ私たちはその「カリスマ」が多くのブーイングの上に、葛藤の上に、挑戦の末に内藤が勝ち取ったことを知っている。
多くのカリスマは気付いた時には既にカリスマで、どこか自分とは違う世界に生きる存在のように思えるものです。
内藤も最近のファンからすれば十分そういう存在なのかもしれません。
でもイッテンヨンでのジェリコとの激闘の後、ヒール転向前と同じSTARDUSTが流れるのを聴いて、確かに同じ、一人の「内藤哲也」が変化する軌跡を目にしてるんだと感慨深く思わずにはいられないのです・・・。
イッテンヨンのVTR見つけたけどここで書いたこと暗に内藤が全部言ってるわ・・・。
語り尽くされてる気もするけど、やっぱり書いておきたかったのです。