「意識高い系」という言葉は皮肉と羨望でできている
意識高い系とは
最近よく聞かれるようになった、意識高い系という言葉。
元々は、やたらと学生活動を立ち上げたり、就職活動時に自己アピールを盛って話すような人のことを揶揄する言葉だったらしいです。学生活動の募集要項に、意識高い学生が集まってます、という文句が多かったそうで。
今や学生界隈の枠を飛び超えて使われるようになりました。言葉が使われるうちに進化して、今は「意識高い系」にはいくつかのニュアンスがあるように思います。
総じて、好ましくない方向に。
意識高い系の行動例を挙げるとこんな感じかと。
1.自己啓発に一生懸命(例:成長するためには1日本2冊は基本だよね?)
2.あなたとはちがう、アピール(例:日本人が行かないところに旅行するのが好きなんだー一回行ってみた方がいいよ、もったいないよ!)
3.忙しい私、素敵でしょ?(例:昨日仕事12時までやって、これから予定3つあるの)
4.考えは素晴らしいが行動が伴わない(例:あの人とはお互いに同じ方向を向けるような関係を築けなかった、高め合える関係じゃなかったの)
デフォルトの返しは、わーすごいね、これで決まりです。
(実は例文は実際に最近会った意識高い系の方の発言引用させていただきました)
意識高い系は悪いことなのか?
最近、テンプレのような意識高い系の方に出会ってから、果たして、意識高い系というのは悪いことなのだろうか。ということを考えています。
人に不快感を与えることは確かです。
では、なにに対しての不快感なのか。
私なりの解釈としてたどり着いた結論があります。
1.価値観を決めつけられた上で、なんだか見下されている感
2.私はそこまでできません、それができるあなたはすごいですね、と思わされる劣等感
なのかな、と思い至りました。
なお、私が出会った意識高い系の方は、本当にすごい努力してるし、素敵な経験もされている方です。口だけの意識高い系は単に嫌悪感です。
1に関して言うと、やはり、自分の努力や経験をそれみよがしに語るのは、自分が意図していなくても、相手よりも自分が特別な存在である、ことを強調しているように感じさせるため、好ましくはないのでしょうね。
わざわざ、普通の人はこんなことしないと思うけど…と話を始めたり、私って変だよね?とか前置きされると、普通=つまらない、特別な私=すごい、と嫌が応にも変換してしまうものです。
ただし、2に関して言うと、意識高い系の本人ではなく、どちらかというと、受け手の、自分に対する後ろめたさに起因すると思うのです。
私は何を隠そう、他の人から見たら立派な意識高い系です。自己啓発に余念がないし、多少ストイックになれるし、自分の存在には特別な意味があるはずだ、と思っちゃうタイプです。
そんな、自分に酔う要素が、仕事でもモチベーションになってた部分があったんです。
それが、今回、初めてこの人意識高い系だなーと客観的に思う人に出会って、もう、自分には、彼女のように、自分を特別な存在として仕立てたい、と思う気力がないんだな、と気付いてしまったことで、自分には向上心が欠如しているような気になってしまったんです。
それが劣等感という不快要素になってしまった、そんな気がしています。
意識高いこと自体は悪いことじゃない
だから、私は意識が高いこと自体は悪いことだと思いません。それだけ自分の価値観をはっきり持ち、それに沿って努力できているんだから。
ただ、それを人に伝える必要があるのか、どう伝えるのか、ということを考えた時に、ちゃんと考えないと、意識高い系(笑)になってしまうのだと思うんです。
それと、受け手として、意識高い人を羨むくらいなら、もう少し努力してみよう、と思えれば、お互いにもう少し生きやすくなるのかも。
簡単なことではないけれど。
意識高く努力してる人が、笑われることのないように!