社会人におけるバレンタインの意味を考える
今週のお題「バレンタインデー」
そうですね、
あと4日でバレンタイン。はてぶのお題にのっかってみます。
私は行事ごとが好きなので、12月になるとクリスマスでうきうきするし、今流行りのハロウィンも、嫌いじゃない。
バレンタインも例に違わず、昔から律儀に家族に、好きな人に、チョコを渡してきました。
アメリカでは日本のバレンタインとは違い、男の子が女の子をもてなす日なので、大学留学中は花束を頂いたり、食事に連れて行ってもらったりしました。(普通なんですよー)そういえば授業中にバラの花束が届く女の子とかいたなぁ。
それでも、日本では女の子がチョコをあげる日なんだよ、といってチョコケーキを作るも、なぜか膨らまずにフリスビーのような形の黒い何かが出来上がる、という事件も起こしたりしてました。
(1ピースだけ食べられて捨てられていたのを発見し、パックマンみたいだな・・・と思ったのを思い出します)
社会人になって変わったチョコの意味
社会人になって2年間は、バレンタインデーは私にとって学生時代となんら変わらず、チョコ交換が行われるプチイベントでした。外資のミドルオフィスだった時代です。
同期の女の子と手作りのチョコを作って配ったりしてました。
それが変わったのは、今の会社に入社した年です。
周りは男性ばかりの職場、お客さんと直接日々やり取りする環境だったのですが、私の前にいた女性コンサルが伝説を残してまして。
彼女、本当にデキる女の人で、どうやら関わりがある男性のお客さん全員にチョコを配ったそうで。関わりが濃い人も、薄めの人も、みんな。
その結果、ホワイトデーには机に山積みのお返しが奉納される結果に。
ちなみにみなさんその方にメロメロ。もちろんもともときれいな方だ、というのもありますが。
それで皆、私もやるべきだよ!今年はやるんでしょ?と言ってきたのですが、
私は最初、正直なところそのやり方が少し嫌いでした。
そんだけ義理チョコくばりまくる、って、あげるほうももらうほうも、気を使うし、なんだか押し付けのようで。
心からの気持ちでチョコをあげる自分でいたい、と思っていた部分がありました。
相手が喜んでくれるなら
とはいえ、やらないわけにもいかず。
でもやはりいつもお世話になっている、と思える人に感謝の気持ちをこめてチョコを渡そう、と思い至り。
それでも20個ぐらいはチョコ爆買い。
それでせめて気持ちが伝わるように、ということで一人ひとり渡しに行ったんです。
そしたら、みんな思ったよりも喜んでくれて。
驚いたような表情のあと、照れながらも喜ぶ。
あら、世間で言われているよりも、義理チョコに対するやれやれ感ってないのね
ということと、あれ、思った以上に渡しているこっちもうれしいのね、という気付き。
義理チョコ、と言ってしまうとすごく味気ないけれど、心をこめて感謝の気持ちを渡せば、マイナスになることはなくて、むしろ、なんだかんだで相手が喜ぶ顔が見れる。
相手にとっても、私がポジティブな感情を持っている、ということを受け取る機会になる。それがきっかけで前よりも距離が縮まる人も実際にいたり。
あげるのももらうのも義務になってしまうのはなんか違うけれど、本当に相手に好意を伝えたい気持ちがあれば、相手との関係性を築くきっかけにもなる。
先輩がそこまでの意図を持ってやっていたかはわからないけれど、彼女のお陰で先入観をとりはらって新しい価値を見出せたなぁと、思った年なのでした。
ホワイトデーは・・・
ちなみに、ホワイトデーのお返しは机に積み重なりました。1ヶ月以上はそれでお菓子が足りてしまった・・・!とはいえ、それは単純に結果として。
なんだか器が測られている気がして、男性からしたらお返しに気合を入れてしまうものなのだろうか。
良し悪しはほとんど差がなくて、お返しに現れる人柄を見るのが楽しいな、と思います。
奥さんと一緒に選んで実用的なハンドクリームをくれたり、グルメだからおいしいところ、にこだわってくれたり。
人柄を見て楽しむものだな、と思っています。