自分を安売りすることの恐怖
お金を払うこと、もらうことの意味を考える
そしてこの記事も人気→30万円分の好意をドブに捨ててしまった話… - はあちゅう 公式ブログ https://t.co/mYV9iZFbPO
— はあちゅう (@ha_chu) January 19, 2016
このブログを読んで激しく共感。
不思議なことに、
払ったお金の分だけ大事に使うんですよね、人って。
どんなに高級なものでも、タダで手に入れられたら平気で無下に扱ってしまう。無駄にしてしまう。
うちの会社では、自己研鑽費制度で本や研修費用を会社に請求できるんですが、あえて申請しない、という上司がいました。
自腹切らないと必死に読もうと思えないから、だそうで。
その時は、「えー、もったいない」程度に思っていたんです。
普段私たちのプロジェクトでは2社間で、何にコミットするのか、どんなことをどんなプロセスで行うのか、それに対していくら払うのか合意し、デリバリーをします。
が、あるプロジェクトで諸事情により、私たちにお金を払ってくれるのはA社だけど、プロジェクトの主体はB社とC社、という状況で仕事をすることになりました。
ちなみにABCは資本関係があるわけではありません。
普段のプロジェクトであれば、お客様もコンサルに高いフィー払ってるので、結果を出すために必死で考えるし、どうやってフィー分使い倒すか(別にネガティヴな意味ではなく)考えて、一緒に検討を進めてくださいます。
しかし、このプロジェクトでは全く違う展開になりました。
「自分たち(BC社)で考えたい、おたくの考えは一応聞くが、あくまで自分たちの意向優先、議事進行や記録をメインにやってくれ」といった姿勢を示されました。
お金を払わなくていいから使い倒そうとも別に思わない
「お金が発生するぐらいなら必要無い」
と思っていたのでしょう。
当然、そんな中うまく価値が出せるはずもなく、(気付いたら2社で方針が決まっている、情報が十分に共有されない、など、さすがに無理…)A社が払ってくれたフィー分の成果をあげることはできませんでした。
必要だと思うからこそお金を払うし、必要だと思うからこそ価値を見出すことができる。
サービスを受けるためにお金を払う、というのは、お互いを大事にするためにも必要なんだ、と初めて気付くことになりました。
身近なところで言えば、本気で何かしたい、身に着けたい、と思うならちゃんと自腹で投資すること。
意外に大事なのです。