女性コンサルタントの頭ん中

業務コンサル会社に勤めて3年目 日々考えたことを書いてく

女子だけどiPhone6 Plusを選んで良かった3つの理由

iPhone6S Plus買ったら世界が変わった

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ちょっと大袈裟ですが。

大きな画面の携帯買うのって迷いますよね。

特に手が小さい女性にとっては、大きな画面だと扱いづらい印象があると思います。

6にしようかなー6plusにしようかなー?そんな迷っている女性がいたら全力で伝えたい。

絶対Plusのほうがいいよ!!

いや、絶対なんてないのは分かってるんですけど。

私の場合は本当にplusにしてよかったと思っています。

専門的な操作性だの、技術的要素だのは別にして、一般ユーザーとして、こんなとこが良かった、という話をすることで少しでもplus使いの方が増えればいいなーという。

私がここ半年で実際に使ってみて実感したメリットを語ろうと思います。

 

1.webページの閲覧に耐えうる、かつ電子書籍まで携帯で十分

一番はこれです。

iphone5S時代には、さすがにweb上の文章を携帯で読むのは辛かったです。なのでスマホ向けアプリを提供している媒体しか楽しめなかった。eメールも同様。

iPhone5Sでも読めるは読めるんですけど、画面が小さすぎ、文字を適正なサイズに合わせると、一度に目に入ってくる情報が少なすぎるため、読むときにストレスを感じたんだと思います。

例えるなら、200ページぐらいの本を、1ページの中身をスカスカにしてページ数を1000ページに増やしてるみたいなものでしょうか。

その点、Plusのサイズだと、webページを表示したときにギリギリ心地よい文章量で表示してくれるんです。パソコンよりは少ないけれど、ストレスを感じるまでではない。ぎりぎり片手で持てる大きさを保ちながら適切な情報量を表示できるところはすごいです。

ストレスが少ないので携帯を使った情報収集を前より頻繁にやるようになりました。仕事にも好循環。

個人的にさらに驚きだったのは、kindleアプリを落として試しに電子書籍を読んでみたら、これが結構快適で。「電子書籍タブレットで読むもの」となんとなく思っていたのですが、Plusだと無理なく読めます。

持ち歩きもタブレットに比べると楽なので、これは衝撃。最近読書熱がまた沸いてきたのはこの手軽さを発見したからだったりします。店頭でも試せると思うので、web閲覧と電子書籍はぜひ使い心地を確認してほしいところです。

 

2.画面を見ながら人と話をするのが圧倒的に捗る

携帯の画面をシェアして友人と話をすることってあると思うんですけど、その時の使い心地は圧倒的にいいです。

動画を見せ合ったり、FBの投稿を見せたり。2人で画面を覗き込んでみても無理がないし、ズームする必要もない。

ちょっと専門的な使い方になってしまいますが、個人的にこれを実感したのが、Fluid UIというプロトタイピングツールiphone上で動かすときに、3人くらいが会議の場で覗き込んでも無理が無かった時です。

これが6だったら小さすぎて順番に見ることになっていたように思います。

動画もある程度画面から距離を取っても無理なく見れるので、よりテレビに近い使い方ができると思います。

 

3.実は6にしても操作のしやすさは大して変わらない

とはいえ、やはり片手操作できない、というのは最初結構不便に感じた場面もありました。というより、私の場合は不便に感じたシーンはほぼ一択で、電車の中で立っているとき、つまり片手はつり革で埋まってしまっているため片手しか操作に使えないときです。

それ以外のときは実は両手を使うことに無理があるシーンってあんまりなくて、慣れてしまえばこの不便さを感じることってあんまりないんですよね。

そしてなにより、6にしようが6plusにしようが、手が小さめな女子にとっては片手操作に無理がある点は実は変わらないので(私の店頭操作調べ)どうせ片手操作ができないなら6も6plusも変わりません。

先述のメリットを鑑みると、このデメリットは結構許容範囲です。

電話とメッセージにしか使いません、と言い切れる場合は軽くて操作しやすいモデルを選んだほうがいいとは思いますが。

 

以上、少し暇な3連休、読書に明け暮れている中で6Plusの恩恵を感じたため綴ってみました。

私も相当迷った覚えがありますが、変えて良かったと心から思います。

おすすめのビジネス本5選、と「ビジネス本読んでも意味が無い」とか言っちゃう人へ

「ビジネス本読んでもなんの役にも立たないから私は読まない」

こういうことを言う人って結構います。

私自身はビジネス本たくさん読みますし、意味が無いと思ったことはありません。

だから個人的にはこういう意見を聞くとちょっと戦いたくなります。

「私はこういう本を読んでこういう風に役に立ったよ」とか実例出して反論していた時期もありました。

まぁ、大抵は響かない。しかも、自分で「ビジネス本は役に立たない」と思っているだけならまだしも、ビジネス本読んでる人に対して、さながら「まだビジネス本で消耗してるの?」とでも言いたいかのような態度を取ってくる人もいます。

(関係ないけど、この~消耗してるの?ってフレーズはすごくキャッチー)

今はこういう人に出会ったときには特に反論しないようにしています。

なぜなら、そういう人はやっぱり、ビジネス本は読まない方がいいと思うからです。

 

ビジネス本の読み方

ビジネス本っていうのは大抵だれかの経験により導きだされた、一つのDo's and Don'tsの形が言語化されたものです。まずその性質を理解するとこから始まると思うんです。

何を言ってるかというと、本に書いてあることはあくまで一つの方法論であって、現実はもちろん状況によって異なる。当たり前なんですけど。そして文章は文章であって、魔法ではないので、読んだらそれだけで筆者と同じような経験ができる、なんてことはありません。

なので、本当にビジネス本を役立てようと思うなら、①文章にこめられた筆者なりの方法論を読み解いて、②どうやったら自分の状況に活かせるのか?自分の頭で考え、③実際にビジネスの場で試してみる、というステップを意識的に実践しなきゃいけないと思うんです。

「ビジネス本になんか意味が無い」って言ってる人は二通りだと思っていて。

・なんとなく知識を仕入れたい、なんか役に立ちそう、みたいな感じで読んでる人(魔法を期待してる人)

・大体の本は読みつくしたor今の経験が充実しすぎていて本を読んでる暇がない人

圧倒的に前者が多いと思います。

世の中のいろんなすごい人のナレッジや経験を、その人を知らずして得られるなんて、やっぱりビジネス本っていいものだな、と思うんですけど、魔法を期待する人に薦めてもがっかりするだけだと思い至った次第です。

 

コンサル基礎力をつけるのにおすすめのビジネス本

私自身は、特にコンサルに転職してすぐ、足りないスキルや経験を補填するために、藁にもすがる思いでビジネス本を読み漁りました。

その時は即効性がある、スキル重視の本を主に読みました。それこそ、必死。自分が入ったコンサルティングという世界を説明してくれるような、辞書のような説明書のような本を探していました。

辛い時期を乗り越え、なんとか大体のことは一人でできるようになってからは、すごい人の経験を追体験したり、より抽象的な考え方の言語化にせまる系の本を読むようになりました。やっぱり、そのときに必要としているものに合致する本を読みたくなりますし、逆にそれ以外の本は無理して読もうとしても読めないものです。

その中で特に私に行動レベルで影響を与えた本が何冊かあります。

 

ロジカル・プレゼンテーション―自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」

ロジカル・プレゼンテーション―自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」

 

 まずこれ。

論理的思考、ってなにそれおいしいの?状態だった私に、論理的とはなにか、私の今の思考の論理性の欠如はどのあたりにあるのか、を手取り足取り教えてくれた本です。

この本が無かったら「論理」という言葉を理解できなかった。ヘレンケラーが水を認識したときのような…(大袈裟)とにかく、タイトルはプレゼンテーションとなってますが、論理的思考の何たるかを教えてくれました。

 

 

論点思考

論点思考

 

これまた初期に読んで感銘を受けた本。「論点」という言葉はこの仕事をやってるとよく出てくる言葉で、でも、何なのか説明されても捉えどころがなくて、私にとってはすごく理解しづらかった。実例も交えてすごく丁寧に言語化されている本だと思います。

 

 まさに本のタイトルそのまま。笑 私は人前に出てプレゼンしたり、前面に出て話をするのが苦手です。失敗したらどうしよう、間違ったこと言っちゃったらどうしよう、そんな気持ちが出すぎて、自信が無いように聞こえてしまったり、内容が飛んでしまったりします。一度お客様とのキックオフでプレゼン内容がすべて飛んで、15分間くらい、意味が無いことを話し続けてしまったことがあります。(悪夢)そんな傷心な時に読んだのがこれです。この本から得たノウハウはいまだに実践しています。

 

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 言わずと知れたちきりんさんの著書。コンサルになった当初は本当に、自分の頭を使う、という作業に慣れていなかったように思います。すごく実践的に頭の使い方を教えてくれる本です。まず、世の中を見るときに頭を使っていなかったんだな、と気付かされることから始まりました。そりゃ仕事でもイマイチなわけだ。

この本を読んですぐにデータ分析をする仕事があったのですが、この本を読んで意味のあるデータの見せ方を考えていなかったら、もっと苦戦していたと思います。

 

番外編:ストーリーとしてすばらしい本

 最近読んだ本になるので基礎力とは違うんですが、この本がすごく面白かったので備忘録代わりに記しておきます。iモードの開発ストーリー。何が面白いって失敗経験やその状況を打破するための苦労が生生しく記されている。そしてまぁ、成功ストーリーなので気持ちいい、という部分もあります。笑

マッキンゼーコンサルタントが結構激しくdisられているので、まがりなりともコンサルという職業に身を置くものとしては心苦しい点もあるんですけど。責任を持てる立場のプロパーと、持てない立場のコンサルの間での役割のジレンマや、新規事業開発では市場の声が正解であって、その声を正しく捉えることがいかに難しいか気付かされます。

iモード事件 (角川文庫)

iモード事件 (角川文庫)

 

 

職を変えたりライフステージが変わったらまた興味がある本というのは変わっていくのだと思います。そのたびに良書との出会いがあり、たくさんの気付きがある。

そういう繰り返しを大事にしたいと思います。

 

自分も部下も。自尊心と自己嫌悪の健全なバランスについて

成長って言葉は嫌い

いきなりですが、「成長」って言葉は嫌いです。

なぜなら、すごく内向きだから。自分、自分、な感じがして。

成長って目的じゃなくて、ただの結果。社会人になってしばらくはその違いはわからなかったけれど。

毎日毎日目の前のこと必死でやって、誰かに少しでも役に立つために試行錯誤した結果、自分ができることが少しずつ増えていく。

そうやってもがいて得られる変化だから意味があるのであって、成長するための仕事なんて、ただの自己満足。

お勉強じゃないんだから。

自分の知識や経験を増やすために時間を使えた学生時代と、社会の一角を担う社会人という立場の大きな違いなのかもしれない。

 

この前提があった上での、成長の話。

 

自己嫌悪と自尊心

この言葉は私が就職活動中に某コンサル会社の説明会で聞いた言葉です。

その方が仰っていた「成長に必要なのは適度な自己嫌悪と自尊心のバランスだと思う」という言葉がやけに心に残っています。

少しなにかうまくいって、少しだけ自分を誇る自尊心が生まれて

で、次の仕事に臨んだらメタメタに言われちゃって、自分だめだ…って思う。

そんな登ったり下がったりを繰り返して、少しずつ積み重ねていく。

ミルフィーユみたいに、繊細な層を重ねてく。

クリームとパイのどちらかが多すぎてもバランス崩して倒れちゃうので、注意を払わなきゃいけない。

 

これは実際に働いてみてもそうだな、と思います。

うまくいきすぎてる時って、しばらくすると慣れてくるんですよね。仕事はうまくいってるけど3ヶ月前の自分とできることがなんら変わってない。

変わってないだけならまだしも、怖いのは、だんだん自分の中に驕りが生まれてくる。

なんだか自分がちょっとそれなりな人みたいに思えてくる。

そうすると、改善すべき点が見えなくなっていく。自分でできると思うから、周りのアドバイスもあんまり響かなくなっていく。お客様へのパフォーマンスも結果、知らず知らずのうちに下がってくる。

自尊心の先にあるのは間違いなく成長の頭打ちと、少なからず結果としても現れるはずです。

 

一方で、自己嫌悪が積もりすぎても凄い危険。

自己嫌悪、というと言葉キツ目ですけど、なにかだめなことがある、改善すべき点がある、ということは、本来、伸びしろに気づいている、ということでもある。

ただ、言わずもがなだけど、自己嫌悪があまりに続くと伸びしろを埋めるためのポジティブエネルギーが切れてしまいます。だって、自分のだめなとこと向き合うのって、決して楽しい作業じゃないから。

 

だから、適度な自己肯定と自己否定を繰り返して、自尊心と自己嫌悪のバランスを保つって、すごく大事。

自分でも今どっちに寄っているのか客観的に認識しておきたいし、部下ができたら、ちゃんと見極めた上で接したい。

簡単なことじゃないけれど。

コンサルを続けるかスタートアップか、私が転職を決めるまで

今日は今、まさに自分に起こっているキャリア選択の話をします。

結論から言うと、つい先日、今のコンサル会社を辞め、あるスタートアップに転職することを決めました。

この手の経験を経てきた人たちの例によらず、様々な葛藤がありました。給料、安定、ワークライフバランス、今の会社への思い。

結論を出す3日前なんかは気持ち悪くなって寝れなくなるくらい悩みました。

それでも、現状維持ではなく、新たな場所を選ぶに至った成り行きを記しておこうと思います。

 

転職する気は全く無かった

まず、私は特に転職活動をしていたわけではありませんでした。今企画している新規事業へなにかインプットが得られればいいな、くらいの気持ちでコンタクトしたのが始まりでした。とはいえ、人材マッチングサービスのWantedlyを経由しコンタクトしたため、全く意図しなかった、と言うには語弊があるかもしれませんが。

 

社長と私は新卒で同じ会社、同じ部署に勤めており、直接面識は無かったものの共通の知り合いも多く、話は盛り上がりました。

その会社のビジョン、作ろうとしている組織、その中で必要だと考えている人材、話を聞きディスカッションする中で、これは面白いぞ、とどんどん惹き付けられていくのを感じました。

これは、滅多にない縁というやつかもしれない、と。

先方もそう思ってくれたらしく、コンタクト開始から3週間くらい、他の社員とも話をした上で「ぜひ来て欲しい」とオファーをいただくに至ったのです。

 

プラスとプラスの選択だから難しい

が、わくわくする話に舞い上がったのも束の間、今の自分に目を向けると、そこには今の仕事と生活がありました。

今の私はやっとコンサルタントとしての仕事が少し板についてきたところ。私生活としてもそろそろ結婚なんかも考える時期。先がなんとなく見え始めていたところに、また先々不透明な挑戦をすることが本当にいいことなんだろうか。これが2年前だったらもう少しすっぱり決めていたかもしれませんが、30手前、少しづつ背負うものが増えてくる時期ということもあり、これまでにないくらい迷うことになりました。

その中でも、やっぱり悩みとして1番大きかったのは給料が月10万減額になること。

月10万となると、生活水準に影響が出るレベルです。会社が大きくなればそれだけ増額のチャンスもある、ストックオプションの付与もある、ということですが、自分の生活をかけて必死になれるかと。

 

それに、今の会社に大きな不満が無いことも私を悩ませました。

楠木教授のお言葉ですが、マイナスとプラスの判断なら話は簡単、プラスとプラスだから難しい。

正にその通りだな、と。

このままでもそれなりに面白い仕事はできる気がする。それでもリスクを取るか。

 

迷いに迷った私は、ネット上に転がっているスタートアップへの転職関連の知見を読み漁りました。「転職基準」というスライドはその中でも体系化されてて学びも多かったと思います。スタートアップにもいろんなステージがあることをその時に知りました。

けれど、それらは私が最終的な結論を出すにあたっては無力なことも分かっていました。

親にも彼氏にも相談しましたが、彼らの意見も一つのインプットでしかない。(ちなみに皆転職反対でした)

そりゃそうです、私の人生なんだから。

最終的には私が覚悟を決めるしかない。

 

やりたいんでしょ、結局

そして、先日社長とお会いした際に、明確に入社意思をお伝えしました。

結局、なんだかもがくうちに、どうしたらやれるだろうかと、自然に考え始めている自分がいたんです。

 

どうやったら、生活環境をあまり変えずに消費額を変えられるだろう

どうやったらあのチームと働けるだろう、どんな人を必要としてるだろう

急に立ちいかなくなったらどんな選択肢があるだろう、多分大丈夫だろうと思うけど…

 

そんなこんな自分と対話してるうちに、もう、やりたいんじゃん、と。

だったらもう、リスク背負ったほうがすっきりする。

 

こういう決断に至るプロセスは直観に限りなく近いと思うんですが、あえてなぜこんなにやってみたいと思えたか言語化すると

・あったらいいな、と思えるサービスを形にしたい

・第三者ではなく、当事者

・あとは、なんか合うような気がしたから

この3つに尽きます。3つ目の言語化諦めた感は置いておいて…。

 

コンサルティングの仕事が嫌だから、不満だから、ではない。

確かに、あくまで支援する立場であることのもどかしさが無かったと言えば嘘になるけれど。

それ以上に、

これから育てていくサービスが作る世界観を、本当に実現してみたいと思えたこと。

第三者として人のビジネスを支援するのではなく、自らの手でチームとともに、うまくいくもいかないも責任を負いながら、いいサービスを作っていきたいと思ったこと。

そんな意をともにする人たちに出会えたこと。

大事にしたいと思うんです。

 

悩んで決めたっていうのが大事な気がするんですよね。結局うまくいくかはやってみないと分からないので。

決断の良し悪しは行った時に結論付けられるんではなく、その先にいかに頑張れたかで決まると思うんです。

こんだけ悩んで覚悟決めたんなら、吹っ切って頑張るしかない。このマインドセットを大事にすれば、多分大丈夫。

 

これもまた楠木教授の言葉を借りれば、「健康で戦争さえなければなんとかなる」。

来週、今の会社に意思を伝えようと思います。

芸人さんのラジオが面白いかは「じゃない方」に懸かってる

「じゃない方」が面白いといい番組になる法則

最近思うこと。

コンビ芸人さんのラジオにハマるかどうかは、俗に言う、「じゃない方」が面白いかにかかってるなーと。

三四郎なら相田さん

アルピーなら酒井さん

世間一般の知名度、人気で言ったら三四郎なら小宮さん、アルピーなら平子さんなんだけど、ことラジオの面白さは相田さん、酒井さんが寄与するところが大きいんじゃないかな、と。

今はもう「じゃない方」なんて言えないほど存在感ありますけどオードリーの若林さんもそうですね。

酒井さんの振り切れっぷりがあっての平子さんのコントオチですし、相田さんの落ち着きと美声とちょっと変人なとこがあってこそ、小宮さんのキャラが引き立ってるなーと思うんですよね。

相田さんの月収の話とか大好き 笑 直近だとオレオレ詐欺の話も好きです。まさか相手が実家にいると思わないオレオレ詐欺犯 笑

ちなみに、個人的な好みではありますが、おぎやはぎさんのラジオや爆笑さんのラジオなんかはもちろん面白いんですけど、もう完成されてて、毎週聴きたくなるわくわくさは少ないかな、と思っています。

なぜそう思うのか、考えてみました。

 

テレビにはない良さ、が出しやすいのはじゃない方

1つは、じゃない方はラジオ以外では魅力をまだ示し切れていないことが挙げられます。ラジオは2時間話しっぱなしなので、否が応にも2人に満遍なくスポットライトが当たりますが、テレビでそんなこと、まずない。

たくさんの芸人さんがいるひな壇のなかで場所を与えられるか、ネタをやるか。

そういった状況下では、どうしても華がある人に目線がいってしまうものです。

で、華がある方はどんどんお茶の間に配信されていく。

でも一方で、じゃない方にスポットライトがちゃんと当たった時に面白ければ、それはラジオでしか得られないコンテンツになります。

小宮さんは確かに面白い。でもその面白さはテレビで観る面白さと近いところがあります。同じ人なので当然のことです。でも相田さんの面白さはラジオ以上に感じられる場所はないんです(今のところ)

その、ここでしか得られない特別感、が聴いてる方にも伝わるのかも。

 

ラジオは実力勝負

次に、ラジオのように生放送、2時間ぶっ通し、ついでにリスナーからのメールで内容が変わりうる、なんて、そんだけ実力が試される場所は無いな、と思います。

テレビならカットして終わりでも、ラジオではそうはいかない。

テレビでは華がある方に露出が集中しますが、ラジオでは露出は均等に割り振られ、かつ、2人だけでカバーしないといけない。

それだけ1人ずつが負う責任は大きいんですよね。

リスナーを満足させられる2時間を作り上げるためには、尖った華のある方だけじゃ絶対的に足りないんだと思います。

過去にもちょっと「じゃない方」の実力不足かなぁ。と思った番組は短命に終わってしまいました。

1+1=3くらいにはなる力が必要なんだと思うんです。

 

また、ちょっと違った視点から言うと、「じゃない方」には尖った感性を持つ相方と、リスナーとの間をつなぐ役割もあるのかも。

酒井さんを想像すると、当てはまらないけど…。

(アルピーannはリスナーの手を取って一緒に走るというよりは、スタートと同時にパーソナリティが爆走してるところにリスナーたちが必死に着いてくスタイルですもんね!)

 

そんなことを考えていました。

 

あと数回、限られた時間のなかでじゃない方もじゃない方じゃない方も頑張ってほしい。。こちらも頑張って送り出します!

東京カレンダー外銀女子のエッセイに見るバリキャリ女子の危険な価値観

tokyo-calendar.jp

 

こんなタイトルなので、さぞかし「ざまぁ」な展開が読めるのかと期待したんですが、何もかもがうまくいくステキライフを送っていた負けず嫌いガツガツ系女子が、社内応募で別のポジションに応募したものの選ばれなかった、という、大したことない挫折の話でがっかりしました。

そんなの挫折のうちに入るのか…?

デキるアメリカ人彼氏がいて、仕事も順調、おいおい、全然挫折してない。

まあ、挫折の大きさは主観的なものなので仕方ないですね。

ただ、このキラキラ記事を読んで、なんかわかる・・・、と思う点もありました。私は外銀と言ってもミドルオフィスでしたし、こんなキラキラライフは送っていませんが、プライドが高く負けず嫌いな女性が共通して持っている価値観なのかもしれません。

その価値観を持っているが故に失敗したこともあるので、つらつら書いていこうと思います。

 

1.「自分が尊敬できる人間」に惹かれる

皆多かれ少なかれ、尊敬できる人に惹かれるものだと思うんですが、こういう女性は「尊敬できるかどうか」のウェイトが異常に高い気がします。特に仕事面で。

自分が必死に努力して結果を出しているからこそ、そして負けん気が強いからこそ、「すごい」と手放しに思える人には惹かれてしまうんですよね。

逆にそうじゃないと、男として不甲斐ない、と思ってしまうのかもしれません。

私も、「好きなタイプは?」と聞かれたら「尊敬できる人」と即答していました。実際、同じ大学のゼミとか、職場とか、その人の能力がわかる場で出会った人しか好きにならなかったです。

でも、これもまたすごく危険な発想で。

超私見ですが、不倫や不幸な恋につながりやすい

理由は2つあって

1.この年齢で「尊敬できる人」は自分より上の立場にいることが多く、そして多くの場合は結婚しているか、理由があって(遊んでて)結婚していないか、のパターンが多い。

2. 残念ながら「オレ、できる」系の人が負けん気が強い女性を好むケースは少なくて、優しい家庭派の本命彼女のサイドメニューとして扱われる可能性がある。

 

繰り返しますが、超私見です。…が、個人的に痛い目も見てます。

 

もちろん、「尊敬できる人」と一緒にいるのは大事なことですが、あまりにそのクライテリアに傾倒してしまうと、危険も多い、ということなのだと思います。

 

2.「人とは違う人間になりたい」

これね。

エッセイの中で彼女が努力をする理由として掲げるこの価値観は、残念ながら私にもありました。

人とは違う人間であることが、私を私足らしめる、そういう存在でいられることが私の価値であり、常に意識しなければいけない、と本気で思っていました。(ゲスの極み乙女。が歌ってそうな文章ですね…)

そういう価値観があったからこそ、留学して世界各国の人と関わってみたい、という意欲につながりましたし、所謂日本の大企業、へは就職しなかった。勉強においても仕事においても結果を出したい、という努力にもつながっていました。

ついでに、月9は見ない、DoCoMoよりJphone、という無駄な反メインストリーム主義にもつながっています。(今考えるとどうでもいいな…)

 

でもこの価値観って一方ですごく危険で、自分の価値を相対的にしか考えられない証拠でもあると思うんです。

 

人と比べてどうなのか、十分に「特別」な存在でいられてるか、人と比較してしか自分を定義できない人は、実はすごく弱い。

だって、周りは移り変わるものだから。もしかしたら、自分より優秀で努力していて、「特別」な人がわんさかいる世界に急に放り込まれるかもしれない。

そうした途端に自分は「特別」でなくなる。自分を定義することができなくなってしまうわけです。

私は今の仕事で幾度となく鼻っ柱を折られ、自分が特別ではないことを痛いほど思い知らされて、鬱になりかけて、やっと、人と違うことで自分を定義するのはやめよう、と思えるようになりました。変に「特別」じゃなくたって、私には私の価値がある、と。

 

あなたと違うから私なの なのか 私以外私じゃないの なのか

 

ネタ元はアレですが、とりあえず、後者のほうが、何かあった時に強く立っていられるものです。

 

 

残念ながらこのエッセイの中に出てくる彼女は大した挫折を経験しませんが、個人的な経験から独断と偏見で、彼女のような価値観の危険性をピックアップしてみました。

もっとある気もするけどこの辺で。

キラキラもほどほどに!

 

「成功の秘訣はなんですか」という質問ほど害があるものは無い

「成功の秘訣は?」「成功のコツは?」

何かで結果を出した人が、必ず聞かれる質問だと思う。

ビジネスであっても、ブログのアクセス数であっても、柔道の世界大会であっても、みんな同じ。

人は、どうすれば成功するのか知りたいし、成功する人たちは何かしら自分たちは知らない秘密の技を持っていると思ってる。

聞かれた方も、一生懸命考えて、たくさんの出来事やトライしたこと、失敗したこと、うまくいったことの中から、特に大事だったなぁと思うことを、時には思いつきで、時には熟考の末、答える。

そうして、「○○がうまくいった13の理由」みたいな記事や本が生まれる。

 

最近思うんです、

これほど害があることって、無い。

いや、もう少し正確に言うと、これほど受け取る側のリテラシーが求められることって無いな、と。誤った理解しか生まないなら却って無いほうがいいんじゃないかと。

 

手軽な成功を求める時代

前のエントリとも少し関連しますが、当然のことながら、表立った輝かしい成功の裏には、大抵凄まじい困難と苦悩と努力が隠れているものです。

なのに、そうした背景に注目するよりは、人は成功のエッセンスを欲しがります。一度生々しさを失った「型」になんて、大した意味は無いのに。「これはやるな」はある程度言えても「これをやれば成功する」なんて、そんな、型にはめ込めばうまくいくような世界なら、たくさんの人が成功しているはずです。

それでも、うまくいくエッセンスをたくさん吸収すれば、うまくいくような気がしてしまうのはなんなんでしょうね。お手軽時代・・・?

私の会社でも、どんなに結果を出したプロジェクトも、寝る暇を惜しんで働かなければいけない瞬間があったり、お客さんとぶつかって大変な思いをしたり、といったことが多かれ少なかれあります。そして、大変な思いをして得たdo's and don'tsは、エッセンスを抽出され、他のプロジェクトに展開できるように方法論として語られるようになります。

例えば、育成系のプロジェクトであれば、単にトレーニングだけではなく、OJT形式でやるのがよい、最後に明確なアウトプットをお客様に出していただくことを念頭に置いたほうがよい、などなど。最初は、「いや~こういうことがあって大変だったからOJT形式にせざるを得なかったんだよ」といった、温度が感じられる体験談だったものが、時間が経つにつれ生々しさを失い、「型」になっていきます。

型は受け継がれ、たくさんのプロジェクトに流用されます。昇華されるとフレームワーク、なんてかっこよさげな言われ方をすることもあります。

 

そうして「型にはめればうまくいく」と思ってしまう悲劇が生まれてしまいます。

(自省の意味もこめて)そういう考えでいると、当然惨めな感じで失敗します。で、おかしいな、型どおりにやっているのにな、なんて思ってしまう。

状況が変われば有効な策も変わる。そんな当たり前のことさえ気付かずに、なぜそれが有効なのかも理解しないまま型だけ使うなんて、思考停止にもほどがある。(と、今なら思える)

「成功の秘訣はなんですか?」なんて、物事簡単にうまくいくように思わせてしまうから、いい加減やめたほうがいいと思うんです。

 

人の成功体験から学ぶには追体験しかない

じゃあ成功した人から何かを得て少しでも成功に近づくことはできないのか?というと、やり方はあると思います。

一番良いのは、追体験することだと思っています。

やったことが無いことであれば、やってみること。語られている話が成功だけなら自分で失敗してみること、そうやって本で語られていることに、現実の生々しさを加えることで、初めて成功に近づけると思っています。

もしくは、擬似追体験させてくれるすばらしい創作物に出会うか。

そんな本、滅多にないんですけど。それに限りなく近いと感じたのが、南場智子さんの不恰好経営でした。

 

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 信じられないほど生々しい失敗体験。恐らく、まだまだ全然語りつくせていないだろうけど、創業初期の話の凄まじさといったら。自分の置かれた境遇なんて一日中コタツの中でごろごろと同じレベルのぬくぬくさだと思ってしまうぐらい。

それに比べると成功に転じた話のウェイトは、その成功の大きさの割りに比較的少ない。本人も書いている通り、成功した話よりも、重ねてきた失敗をありのままに書いたほうが価値があると思ったそうですし、その通りだと思います。

 

あんまり努力したくないのか、失敗を極端に恐れているのか、どちらにせよ、スマートに、手軽に、エッセンス実践すれば成功できるんでしょ、なんてことあるわけないから、「成功の秘訣はなんですか?」系の質問が無くならないなら、受け取る側の情報活用リテラシーつけなきゃ、と思う次第です。